言葉の重さ

今日は、晴佐久昌英神父に会えた。

多くの人に福音宣言をしている神父。

いったい、どんな人なのか?
ずっと、本をよみ、想像していた。
神学生のときに病気もされて、苦しみを味わった。
その苦しさを、丁寧に話してくださった。

小柄でスマートな方、年齢の割りに(52歳?)
髪が黒くて豊かだった。
語り口調が、やさしさと、あたたかさと、力強さに溢れていた。

人の言葉が自分の心に届いたときや、
この人に会えたという、感謝のときや、
自分自身がどうにもならずもがき苦しむとき、

そこには見えない神の力が働いていると。
確信を持って言われた。

私が人の罪を許すように、
私の数多くの罪も許される。

これを想うたびに、その無条件の愛の前に、私はただ

涙を流すだけだ。
 
 そして、流した涙によって、また人に伝えていける。

 「あなたは、そのままでいいんだよ!」と

 仕事上で、宗教のことに触れるのや、自分の信仰告白をすることには

とても抵抗があり、すっぽりカバーで覆ってすごしている。

 でも、このありがたさ、生きていく上で力になるものをいただいて
 これを、自分のものだけにしているのって、

   ・・・ずるいんじゃないか!?

 ずるくない生き方をしたい。

 心と行いが一致して、人に触れたとき

 私の中から、伝わるものがあって、伝えるべきものを伝えていけたらいい。

 また明日から、人の輪の中で、私を通して眼に見えない力が働くように。

 今日一日のめぐみ、

 ありがとうございました。

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