流されないで立ち止まる
今日は
「流されないで立ち止まる」
ということを考えさせられました。
「なんか違う、なぜ?」
と自分の感覚と違う違和感を他人に感じることってよくある。
でもそのときに、
「まあ、そんなものかな」と深く考えず、あいまいなまま物事を進めていって
しまうときがある。
そもそも、自分の感覚を研ぎ澄ましておかないと
「なぜなんだ?」
・・と考えることすら出来ない。
昨日仕事のことで流されそうになった。
報告している私が、
「えっ!?なんで!?それでは学生本人のためにはならない。」
と一瞬思ったのに、
「もう、いいんです。いいんです。相手方もいいと言われているので・・」
というよくわからない言葉に流されてしまった。
「そうですか、でもこの事実を本人が理解しているかどうかは
とても大切なことと思いますが・・・」
と、一言のべたが、きっとそれっきりになるケースだというのが
眼に見えていた
これを今日ボスに報告すると、
「なぜと思ったことは相手に聞く」
という、とても基本的な、そんなことうちの子でもやっています
・・・というような、人とのかかわりでベースになることがらを
はっきり、きっぱり言われてしまった。
ほんまやな、なぜと思って、相手に聞いて、
その理由が納得できればOKだし、
主旨がずれていたり、間違っている場合は、
正しいと自分が考えることを伝えればいいんだ。
ワタシも、何歳になれば、きっぱり信念をもって、判断して、
相手に流されず、状況にも、組織にも、自分の感情にも、
モンスターペアレントにも流されず
しっかりと、論理的に対応できるようになるんだろうか?
でも、今日のような、シンプルかつ重要なことに気づいていくこと。
そして、学んだことを実践していくことによってしか、身に付かないのかなと
思う。
こんなこと、本を読んだって身に付かないよ。
周囲のデキる人から盗むしかない。
今がチャンスだ!!!!!
あすから10月
花泥棒ならず、仕事テクニック泥棒でいこう。
周りの人のいいところだけ・・・
グチも言うまい、人のふりみてわがふりなおせだ。
めぐりんこ