桜の季節を前に

今年度で大手前大学学長を退任される川本晧嗣学長の最終講義を

昨日聴かせていただきました。掛詞の研究がご専門であり、一職員だった私は最初で最後の

講義となりました。

「さくらの詩学」と題して、とうとうと語られる言葉と、引用される多くの桜に関する詩歌を聴いているうちに

どんどん桜の木の下でたたずむ気持ちになりました。とても不思議な感覚でした。

私にとって思い出深い桜の木は、幼い頃家の庭にあった大きな桜の木です。

ちょうど大きく二つに枝が分かれており、そこにあろうことか寝そべって本(マンガ?)を読むという

優雅なひと時を、子どもながらにゆったりとした時間の感覚の中で過ごしていました。

桜の花の本意として、

満開の桜の華やかさ、はかなく散るのを惜しむ心、、、と多くの日本の和歌に詠まれた桜。

桜の木の下でぼ~っとするのが正しい桜の鑑賞であるということから、

幼い頃の私は木登りをしつつ、満開の桜の花の中に埋もれてひたすらぼ~っと桜を愛でていたのです。

そしてA.E.ハウスマンの詩を取り上げられました。

「人生の70年のうち20年が過ぎた、残り50年。盛りの花を眺めるには、50回の春は短すぎる」

「だから森から森へ、ぼくは行こう、雪で飾った桜の木を見るために」

人生であと何回桜の季節を過ごすのか。

桜の如く散りゆかん、潔く散るも桜。

たくさんの詩歌を散りばめ場内をほ~とした桜色に染め上げられた1時間の講義でした。

「ながむべき残りの春を数ふれば花とともにも散る涙かな」(新古今、俊恵法師)

記念にいただいた川本先生共編の本。ゆっくり読ませていただきます。

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